exhibition information KG+2020

2020年9月16日から10月20日までの期間、kyotographieのサテライトイベントとして開催されるKG+2020のプログラムのひとつとして個展を開催致します。ぜひ、お立ち寄りくださいませ。

Cell of Blue Heaven.


本シリーズは、2019年12月に訪れたインド北西部のジョードプルで撮影したストリートスナップを中心とした作品群である。 ドキュメンタリー映像の自主制作に向け、この街で女性の地位向上に取り組む友人の活動を取材する中で直接に見聞きした、カースト制度による永続的な支配、根深い男尊女卑、貧困などの現実を常に意識しながら、市中を撮り歩き続けた。

ブルーヘブンと呼ばれるこの街特有の鮮やかな青色、砂漠地方ならではの砂岩石からなる薄茶色、トゥクトゥク(自動三輪のタクシー)の黄色と緑色、女性の民族衣装の赤色など、次々に目に飛び込む原色の美しさをテーマや構図の引き立て役として取り込むことで、不条理と混沌の中にありながらも生き生きとしたこの街の日常を、独自の情景色で描写している。


Profile :

宮下直樹 | Naoki Miyashita

1978年 京都生まれ

宮下直樹は、営みの堆積する空間をそのままに捉えて表情を抽出しながら独自の情景色を交じえて作品化し、被写体の存在意義・価値を再提案することを創作活動のテーマとするフォトグラファー・シネマトグラファーである。

2018 KG+ AWARD 部門選出


Venue :

センティード コーヒーショップ|Sentido coffee shop

〒604-8187 京都市中京区笹屋町445日宝鳥丸ビル1F
1F, 445 Sasaya-cho, Nakagyo-ku, Kyoto

>> Google Map  展示番号【6】

Tel. 075-741-7439


Open :

9/16 - 10/20

7:30-17:00
8:00-17:00 on Sat. National Holidays


Closed :  

Sun


special thanks to

Kiyomi Ikemiya and all Indian friends.

- moily website

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KG+


Statement :

今回のインド・ジョードプルの滞在は、彼女がきっかけだった。

数年前、記録撮影で携わっている「ててて見本市」という日本各地で素晴らしいものづくりに取り組む作り手との出会いの場で、僕は彼女と知り合った。彼女は自身のブランド「moily」を初出展させていたのだが、カンボジアでつくられるその手編みのカゴをもって、彼女はカンボジアの村一つを自立させたという。

よくよく話しを聞くと、カンボジアでこの手編みのカゴに出会った彼女は、なんと自転車で村々を駆け巡り、その村と作り手を見つけ出し、何年もかけて日本で通用する品質のカゴとして商品化にこぎつけた。かつてカンボジアを旅し、そして今、日本のものづくりの現場を仕事で何度も取材・撮影する自分にとって、それがどれだけの偉業であるか、それなりには想像できた。

彼女の名は、池宮聖美。

今は岐阜に店舗を構えながらmoilyを手掛けつつ、講演活動などにも積極的に応じている。

そんな彼女が今度はインドで、女性を取り巻く社会問題に向き合いたいと行動を起こしたのを知った。国際協力や紛争解決、学生時代にやんわりとそういった世の中の課題と向き合いたいと思っていた自分にとって、今、カメラを向けることで何かできることがあればと思い、2019年12月にインド北西部に位置するジョードプルに足を運んだのだ。

現地で見聞きする話しは、辛すぎた。

闇が深く、写真数枚、映像一本で当然ながらどうすることもできないものであると痛感させられる。その社会問題は、インドで暮らすひとりひとりの日常の出来事として、滞在中にも現在進行形で次々と降りかかっていた。街中の喧騒など、雑音程度に思える。

何にカメラを向けて良いかもわからないまま、彼女の日常に同行しつつ、ジョードプルの街を朝夕にぶらぶらと歩き続けた。

数日すると、砂塵と共に街を覆っているノイズにも慣れてきて、日常が景色として見えはじめた。手にしたコンパクトなミラーレスカメラで、その日常の色に向けてシャッターを切り出す。インドという国は広く、ここにあるのはごく一部に違いないが、それでも僕にとってはじめてのインドは、見たことのない彩色と光に溢れていた。

彼女もまた、インド人の友人に突きつけられている日常にどう立ち向かえばいいのか、途方にくれているようだった。それでも、人への興味を失うことなく、感情に飲み込まれ、翻弄されながらも日々を積み重ねていく姿を垣間見た。

ある日、家庭内の問題などから女性を守り支援するための活動をしている女性のもとに行くというので、彼女に付き添うことにした。自分が男性であることが気なりつつも、その一室にたどり着く。そこには様々なカーストに属する、それぞれの問題を抱えた女性が集まっていた。ここでミシンの使い方を習って、少しでも稼ぎが得られるようにしたり、英会話を学んだりするのだという。

社会問題を解決するのではなく、少しでも生きやすく、少しでも手助けになるような、本当に小さな一歩を踏み出すための場所だった。週に何度も通える子もいれば、めったに来れない子もいる。ここに足を運ぶことさえ、ひとつの賭けなのかもしれない。それくらい、彼女たちの日常は切迫していた。

自分にできることは、手にしているカメラで写真を撮るぐらいのことしかないのだけれど、それさえ放棄してしまったら、それこそここでの僕の存在価値は無に等しかった。僕は写真を撮って良いかと聞いてもらった上で、その場にいる女性たちの写真を撮らせてもらうことにした。

落ち着きなく、少し居心地悪そうにカメラの前に座る彼女たち以上に、僕はぎこちなくシャッターを切り続けた。スマホを持たない彼女たちにプリントして見せようと思うと言ってくれたので、その時のデータを彼女に託して、僕は先に帰国した。

後日、「とても喜んでいたよ!」という、彼女から届いたそのひと言に僕は本当に救われた気がした。役に立つどころか、僕はこのインド滞在を通して、写真を撮ることの意味をひとつ教わった。スマホがなくとも、WiFiがなくとも、「写真」は人の手を伝ってひとの手もとに届くものなのだ。今回の展示の中で、彼女たちのポートレートを展示するのは恩返しの気持ちでもあり、また彼女たちの存在をここに示し、ひとりでも多くの方に知ってもらいたいという思いからだ。

“Cell of Blue Heaven”

ジョードプルの街は、時に ”Blue Heaven” と呼ばれるらしいことを帰国後に知った。最後の日にメへランガル城塞から撮影した夕景は確かにこの街を天国のようにも見せてくれる。しかし、僕にとってのこの街は、ここで暮らす人々にとって決して楽園のような自由な場所でははなく、細分化され、可視、不可視問わずに様々な社会的な要素で区切られ、差別された ” Cell (=細胞・監房) ” の集合体のままだ。

時が流れて、誰も想像もしなかったコロナの時代が訪れた。

コロナはジョードプルで彼女の関わった女性たちを直撃する。そんな中で彼女は現地と連携しマスクをつくり、日本で販売することで彼女たちを助けることを決意し、そして行動に移した。きっかけがなんであれ、彼女がまたひとつ、人を救う手がかりを得たことが僕には嬉しかった。

彼女と、ジョードプルで出会った人々に感謝と敬意を表しつつ、この展示を通してインド・ジョードプルを感じて頂ければと願う。

2020.10.5  宮下 直樹